ヴィーガンへの手引書2

ヴィーガンを選択した著名人は意外に多いです♪

さて、この方が何方だか分かりますか?

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はいそうです♪

アフリカ・ランバネレでの医療活動が認められ「ノーベル平和賞」に輝いたアルベルト・シュバイツアー 1875.1.14~1965です

彼はこんな言葉を残しています。
「動物を食べることは私の信条に合わない。だから、私は絶対に肉食をしない。」

「生きとし生けるものすべてに、慈愛の輪を伸ばすまで、人は自身の中に平穏を得ることはできない。」

さて、今日もマイケル・グレガー先生が推奨していた「BECOMING VEGAN」という本から抜粋してご紹介いたします。

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ハチミツはヴィーガン食か?

厳密に言えば、蜂によって作られる蜂の為の食べ物なので、ハチミツはヴィーガン食ではありません。

そうした意味で言えば、蜜蝋、蜂花粉、蜂の巣、プロポリス、ロイヤルゼリーなどもビーガン食ではありません。

蜂が作った生産物を利用するといういうことは、蜂が生きる為に働いて作った生産物を奪う行為です。ヴィーガンは蜂も含めた全ての生き物の権利を尊重します。

ハチミツの代わりにも甘味料がたくさん手に入ることを考えると、ハチミツを使う理由はほとんどありません。

ヴィーガンのコミュニティーでは、ハチミツを利用する是非についての議論の答えは明白です。

その論点はハチミツそのものが、動物性の食べ物がどうかという点ではありません。

ハチミツを食べるかどうかの議論は、潜在的なヴィーガンの人たちに、ヴィーガンのライフスタイルに移行することを躊躇させるでしょう。

一般的には、ハチミツまで避けるのは行き過ぎているように感じるでしょう。少し頭が変だとさえ思うかもしれません。

結局、昆虫について議論するときには、日常生活や収穫作物に対する害虫の場合はどうなるのか?という疑問が付きまといます。

そうなると、もしヴィーガンの人がハチミツに関しては大目に見る事が出来るのなら、もっと多くの人たちが、ヴィーガンになる選択をする可能性が広がります。

どちらの主張も的を得ています。実際に日常生活の中で、害虫退治を避けるのは難しいです。ただし、目的意識を持った昆虫への搾取を避ける事は理にかなっているように思われます。

つまり肉、牛乳などをメニューから排除している人々にハチミツは取らないように押し付ける事は、なんだか効率が悪いやり方です。それよりも、肉、卵、牛乳などの身近な製品にたいして、啓蒙活動する方が理に適った方法なのです。

ただし動物への搾取を最小限にしたいと望む人々に対して、ハチミツ、絹、ウール、などの動物由来の製品について啓蒙活動していけば良い結果を生むでしょう。

もっと思いやり溢れる世の中にする事が私たちの最終的なゴールです。

なぜヴィーガンを選択するのか?

アルバート・アインシュタインは我々個人の分離感は実際は幻想であると認識していました。そうです、全ては繋がっていて、私たちも広大な宇宙の一部なのです。アインシュタインは「人類は宇宙と呼ばれる全体の一部で、時間や空間によって制限されている」と説明しました。

彼自身を経験している事、考え、感覚が他とは分離している事は、意識が作り出す光学的な幻想の一種であると定義しました。
この幻想は私たちにとって、監獄のようなもので、個人的な願望や他者に対する愛情の範囲を、ごく近しい人に向けるように制限させます。

この監獄からでて、思いやりの輪を広げ、生きとし生ける全ての生物、美しい自然全てを容認する事が私たちの任務です。

このヴィションは「なぜビーガンの選択なのか?」について、とても分かりやすいビジョンを示してくれます。

ビーガンになる事は、地球上の仲間の生物たちとの繋がっている意識が強くし、生物の権利を尊重し、彼らの苦痛を取り除き私たちの思いやりの輪を広げる倫理的な選択です。

ヴィーガンと宣言する時には、普段私たちが愛し、尊敬し、賞賛している身近にいる人たちから得た、私たちに深く根ざした習慣や伝統に立ち向かう必要があります。

私たちのほとんどは、正義にあふれたヴィーガンの選択が長く、困難な争いの種になると考えています。
しかしながら幸運な事にヴィーガンの正当性は広く知れ渡っています。

共同著者のブレンダ・デービスも下のお子さんと以前にヴィーガンについて深い話をしたそうです。

彼女はその時の様子をこう語っています。

 

「スペインへの家族旅行で私を襲ったショックと衝撃は、忘れる事はできない体験でした。両親はスペインでも最も名高い闘牛士が出演する、闘牛ショーを見に行く事を計画しました。1万人の熱狂の渦の歓声と拍手に包まれ、闘牛士がスタジアムに入ってきました。

この美しく着飾った男性が牛と本当に闘うのか?という思いと共に、これから起こる事を想像して息苦しさを感じました。でも私は彼が牛を殺してしまうとまでは想像していませんでした。

この罪のない動物が拷問を受けている壮大なショーの間、私は茫然自失状態になりました。また誰一人として、牛を助けに行こうとしない事が信じられませんでした。私は混乱し、恐怖に打ち震えました。

動物に対する自然な思いやりに関わらず、ある意味動物たちの惨状にたいして、年月が経つにつれ、鈍感になってきました。

私が動物の肉を食べる時、彼らの皮を身につける時、サーカスを楽しむ時、でも、彼らの苦しみは心の底に残っている闘牛の時に感じたほど重さはありませんでした。

でも大人になって動物たちが受けている基本的な扱いに疑問が湧き、菜食主義に興味を持ちました。大学で栄養学を専攻して卒業後、段々と植物を豊富に摂取する食事が私たちには合っている事に、確信を持つようになりました。

ただし、後にある事件が起きるまでは、まだ良心の呵責に苛まれるような強い感情は湧き上がって来ませんでした。

そのストーリは友人の一人が鹿狩りの途中にコーヒーを飲みに寄っていいかどうか聞いてきた所から始まります。お決まりのセリフで、彼に美しい鹿に銃口をどうして平気で向けられるのか?と、聞いてみました。

鹿は彼の銃弾にたいして無防備なのに、フェアでないと、主張しました。それから、彼に他の動物を撃つ時には人間を超えた存在になったように感じているかどうか聞いてみました。

彼の答えはとても驚くべきもので、そこから私は人生は変わりました。

彼は、「あなたに私を批判する権利は無いはずだ。確かにあなたは引き金を引く勇気は持っていないかもしれない。でもだからと言って、食料品店で携帯に化けた一切れの肉を買うたびに引き金を引く責任を取らなくていいという意味では無いでしょう。

あなたは単にお金を払って誰かに汚れ仕事をやってもらっているだけでしょう。少なくとも私が食べる鹿は命を持っていた。でもあなたのお皿に乗た動物でも全く同じ事が言えるのでは無いでしょうか?」

私は友人の言う事が全くその通りだと思ったので、何も言えなくなりました。その瞬間、私が買う食べ物には動物の命があると意識し、責任を持つ事を誓いました。

その事に気付いた時、自分を恥じ、罪の意識を感じ、自分に腹立たしくもありましたが、もっと大事だったのは、動物に対する思いやりに再び目覚めたことです。

思い返してみると、小さい頃は動物たちが感じる存在で、彼らが目的を持って存在している事を知っていました。

まだ幼い息子と寄り添いこれらの事について、お互いに分かち合う準備が十分できてはいませんでしたが、ある日息子がマクドナルドのハンバーガーを欲しがりました。

息子には全てのマクドナルドのお店に、美味しそうなビッグマックバーガーがある事を思い描いていたのだと思います。

その時は我を忘れ夢中で、きっぱりと家のハンバーガーは豆などの植物から作られているけど、マクドナルドのハンバーガーは牛から作られている事を息子に説明しました。

「ママ、人々は牛なんて食べ無いよね?」息子は私がおかしな事を言ったので、ショックを受けたようでした。私は人々は牛を食べる事と説明すると、彼は泣き始めました。

最後には声を荒げて、「ママ、みんな目は見えているよね?みんなは牛が僕たちと同じだって思わないの?」と言いました。

息子は牛が私たちと同じように、考え、感じ、匂いを嗅ぎ、音を聞き、食べ、寝て、愛する事を知っていました。それなのに何故私たちが牛に対して人と同じように接する事が出来ないのか?息子には理解出来ないようでした。

多くの人はヴィーガンになる事は単純に、ハンバーガーやアイスクリームを避ける事だと思っています。でも実はヴィーガンになる事で、例えそれが人間だろうと人間以外の動物だろうと、世間では排除されている存在に対しても思いやりの輪を広げていけます。

それは私たちの選択が自分たちや、自分たちを超えた存在に返ってくる事、また動物を食べたり、動物の製品は不必要で潜在的に有害である事への理解につながります。

近代的な家畜産業は言うまでもなく、動物たちに苦痛をもたらしていますが、それと同時に大規模な環境破壊の原因にもなっています。

集中的な畜産産業は、農地を減らし、地球温暖化を進め、天然資源を激減させています。

もし地球上の全ての人が、食物連鎖の下位層で食品を選択すれば、飢餓問題は本来なくなりますし、多くの食事に関連した疾患は予防できるでしょう。また環境破壊の連鎖も止まり、動物たちの苦痛もなくなります。

ヴィーガンになる事は私たちの本当の倫理、道徳の原則をを反映した選択をする事で、習慣と伝統で正当化されるものは、何もないと認める事です。

宇宙の本当の倫理的なビジョンは、人道主義者でノーベル賞受賞者のアルバート・シュバイツアー博士の人々を魅了する煌めくような言葉を借りれば、

「真の倫理とは相容れない心無き生命への蹂躙を認識せず、人類が長い間過ごして来た事に、人々が驚く日が来るでしょう。倫理とは生命を持つ全てにたいして責任を拡大した、無制限の形をしているものです。」

倫理的に生きる為の、最初の重要なステップは目の前のブラインドを取り払うことです。動物製品、娯楽、動物実験、医学研究などで動物を搾取し、権利を奪う産業の恐るべき実態を明らかにした、多くの優れた書籍やドキュメンタリーがあります。

しかしながら、その中でも最も動物に苦痛を与えているのが、食品業界です。95%の動物が食肉として利用されるために屠殺されています。

(翻訳終了)

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