断食って命がけ?(不食と断食は別物?)

情報は人が持ってきてくれるとよく言いますが、いつも私に未知の世界の扉を開くような情報を持ってきてくれる、ローショコラティエの友人が、先日「食べない人たち」と「食べない人たちビヨンド」という本を読むと良いよ!と、薦めてくれました。実はこの友人は3週間断食などをするなど、不食に結構近いです。彼女の断食前後の血液像を観察させてもらいましたが、やはり酸化ストレスが減少し、血液の状態がきれいになっていました。

それにしても3週間断食できるなんて凄くないですか?去年私も3日間だけ断食をしたのですが、3日間でさえ根を上げていた私にとっては本当に尊敬すべき存在ですし、(実は3週間断食を実践した尊敬すべき友人がもう一人います♪)自分には長期の断食なんか絶対無理~と、思っていました。

でもね、「絶対無理~!」という思いも「食べない人たち」を読み進めるうちに、「これは(不食)はトライする価値があるな!」という思いに少しずつ変わっていきました。というのはね、断食と不食は全く別のものらしいという事に気づいたからです。

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「断食」にはどんなイメージが有りますか?

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断食っていうのは読んで字のごとく、暫くの間食を断つという事です。目的は色々有るでしょうが、体の変化としては消化にエネルギーが取られなくなる分代謝酵素が働きだし、体内のデトックスが出来るなどの、健康効果なども有ると思います。そして、食を暫くの間断ったら、また復食と言う期間を経て、徐々にまた食事を元に戻していきます。

ご興味が有る方は、半日断食や週末プチ断食などの短い期間から、消化器官を休め、体をリセットするためにトライしてみてください。体がすっきりのでお勧めです!私も去年やった3日間の断食直後は結構、体内の余計なものが出たかな?と、思いました。でも、断食ってあたりまえだけど、食を断った後にまた食事を元に戻すじゃない。だから、断食の前提になっている信念は「人間は食べないと生きていけない」という所に有るという事なんです。

だから、私も初めて3日間の断食をした時の意識状態は、「生命を維持していく為に体に必要なエネルギーの供給が経たれる非常事態に、自分を追い込むって」という感じで、たった3日間なんだけど決死の覚悟が必要でした。こんな風に書くとちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、私は大袈裟ではないと思っています。その理由は後で書きますね。

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ともかく私にとっての「断食」は、「決死の覚悟」が必要な一大事だという感じでした。でも、3週間断食をした友人を目の前で2人も見たので、「いつかは断食にトライしてみるぞ〜!」という思いは、人一倍持っていました。しかしながら、3日の断食はとても自分一人ではできそうになかったので、日本酵素栄養学協会主催の酵素食ファスティング合宿に母と一緒に参加してみました。断食中は他の参加者の方と交流しながら、朝のお散歩に出かけたり、体操や講義などのアクティビティに参加したり、酵素食を準備したり、温泉に入ったりしながら結構楽しく過ごせました。初めて断食をされる方にはお薦めです!また、酵素断食なので、断食中も大根おろしのすりおろしや梅干し、最終日の朝は果物などの、酵素をとりながら行う比較的緩い断食でした。

ただそれでも、私の場合は食に対する執着が半端じゃなかったので、とにかく食べたくて食べたくて、「我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢!」と、一行並べてもまだ足りない感じ。断食期間中ずっと「終わったら何食べようか?」と食べる事ばかり考えていましたので、その断食合宿の間中、「終わったら何食べよう?」と、私の意識は終了日の夕食時あたりにに飛んじゃってました。だから、終わった後は本当にそこにはいたんだったけな?という感じでした。

でも母や他の参加者の方もいたし、アクティビティで気を紛らわせる事も出きたのでなんとか、食べ物への「渇望」を3日間やり過ごして無事終了日をかろうじて迎えることが出来ました。でもその我慢の3日間の間食べ物への「渇望」というエネルギー体が肥大化しましたので、帰ってからの復食期間の過ごし方が良くなかったです。断食の反動で、もの凄い勢いで食べちゃったんです。その結果、断食後2週間くらいで断食前よりも3Kg太っちゃいました。ここまではまあ、ありがちな話なので、特に「決死の覚悟」とは無縁な話だとは思いますが、「人によっては決死の覚悟が必要だ」と言ったのは母の事です。

母はその当時は、30年間に渡り服用していた、降圧剤、血糖の薬、高脂血症の薬等10種類近くの薬の断薬をしていたものの、やはり体内には代謝しきれずに残っていた薬の毒素が溜まっていたと思います。母は私と違って、「食べ物への渇望」がそんなに肥大化しなかったので断食後、暫くは復食の教えを守って生活できていました。

しかしながら、ある日お通じがないことを心配し市販の下剤を服用しました。これが実に良くなかった!下剤の服用をきっかけに、下痢と嘔吐で、1週間全く食べられなくなってしまいまったのです。私はこれは断食の解毒反応だから「大丈夫」と思っていましたが、本人も周りも何しろ「食べないと死んでしまう」という信念を固く信じていて、とても心配していたので、断食に詳しい先生に来てもらい点滴なども受けましたが、一向に食べられるようにならず、家族が心配して近くの病院に入院する事になってしまいました。

当然入院すれば、色々と疑いがかけられ検査を受けました。しかしながら、断食前の胃の検診で見つかっていた癌の疑いのある潰瘍も消えていて、結局どこも悪いところが見つからず、2週間後ほどなく退院しました。私としては、断食前に「深い潰瘍が有って癌の疑いがある。大学病院を紹介するから見てもらいなさい。」と、言われていた潰瘍が消えちゃったのだから「断食大成功!」と、一人で思いましたが、入院中は家族に「母を殺すつもりだったのか!」等と言われ非常につらい時期を過ごしました。

まあ今考えると、当然家族は母の事を心配して言っていたのだけれでも、弱って行く一方の母を見ながらそう言われるたのは私も本当につらかったです。という事で、この断食体験ですが、私自身は「食物への渇望」と戦うのに決死の覚悟が必要でしたし、母の場合は本当に命を懸けての断食合宿となってしまいました。この経験を経て、たった3日間の断食といえども「決死の覚悟が必要」というのは、人によっては決して大げさではないなと思いました。高齢者や、薬を長期間に渡って飲んでいる場合は特にです。それから「私には断食は絶対無理」という思いが更に強化されました。もちろん結果的には癌の疑いのあった潰瘍が消えたので、結果オーライではありますが・・。

こんな事情があって友人に不食について書かれた本を紹介された時には、断食や不食は一緒だと思っていましたので、「もうそんな苦行はコリゴリだ〜」と思い最初は読む気になりませんでした。でもその友人が、断食は不食と違って、とても幸せなもので、「心の平和が得れるよ〜」不食はその人の心の状態と深い関係があると、本当に幸せそうな顔で言っていたので、恐る恐る「食べない人たち」をKindleでダウンロードしてみました。

読んでみたら、ビックリ!世界観が広がり目の前が開けて、人生の選択肢が変わりましたし、わたしの断食に対しての思い込みを揺らいできました。

それでは何故、「断食なんて絶対無理~!」と思っていた私が、「食べない人たち」を読み進めるうちに、「これは(不食)はトライする価値があるな!」という思いに少しずつ変わって行ったのでしょうか?

それはね、断食をしている人と不食の人では意識の持ち方在り方が全く違うと気づいたからなんです。

断食と不食の意識の違い

断食をする人の目的は、デトックスだったり、病気の改善だったり、ダイエットだったり、色々あると思います。しかしながら、断食するときの共通する考え方に、「人は食べないと生きていけない」という大前提が有ると思います。だからこそ、食を断つのは暫くの間で、その後は徐々に元に戻す訳です。

私も母もその大前提の思いはとても強かったと思います。だからこそ、私の場合には食に対する異常なまでの「執着と渇望」が出たのだろうし、母の場合には本当に心配性で常日頃から「人は食べないと生きていけない」というよりは、「人は栄養学通りに食べないと死んでしまう」と思っている性質なので、体が断食後生命をかけたような反応の仕方をしたのだと思います。

一方、不食をする人の共通する考え方はどうでしょうか?

不食を実践している人たちの共通する考え方は、「人は食べなくても生きていける」です。しかも食べない事はとても気持ちよく、幸福感に包まれるとさえ言っています。

「食べない人たちビヨンド」で、秋山弁護士は、このあたりについてこんな事を言っています。

「私たちは宇宙のエネルギーから生まれ、永遠にそのエネルギーで生かされているのであって、食べ物によって生かされているわけではありません。また、たとえ食べ物によっていかされていると思ったとしても、その食べ物すら、宇宙のエネルギーから生じているわけですから、結局、プラーナ(宇宙エネルギー)で生かされていることには変わりはないのです。

私の不食の師であるジャスムヒーンさんは、そのことにいち早く気が付いて、物質的な食物からわざわざエネルギーを摂取しなくても、天地に満ちている大もとのエネルギーであるプラーナをとるだけど人間は生きることができるはず、と考えました。そして、そのことを自らの体を使って実験し、証明したのです。

つまり、不食とは、ニュートラルな立場に位置することによって、すべてがプラーナによって生かされていることに気がつくことなのです。それさえわかれば、実は食べても食べなくてもよいのです。」

不食はニュートラルな立場。食べても食べなくてもよい。秋山弁護士はこの立場こそが、ニュートラルな状態で何も判断せず、何も裁かない状態。善悪もつけずに、これほど自由でらくなことはないと言っています。またこのようにも言っています。

「私たちの行動も経験も、すべてプラーナが織りなしているのです。それに気づくと、何かにこだわって生きることがしだいにいやになっていきます。空腹が快感に変わっていく過程とは、プラーナによって生かされていることに気が付いていく過程でもあります。「食べても食べなくてもよい」というニュートラルな立場にたつことで、プラーナによっていかされていることを実感するようになるのです。すると、空腹が快感に変わっていきます。」

不食の極意はとにかくがまんしないことだそうです。我慢せずに、食べないことに慣れる事。不食の道に入れるか否かは、この「慣れの法則」を身につけることができるかどうかで決まるそうです。表面的には同じようにみえて、食べることを「がまんする」のと、食べないことに「慣れる」のとでは、全く逆の結果を導くことになるそうです。

如何でしょうか?この部分を読んで、昨年の私と母の断食体験と不食を実践している人たちの意識状態が全く違っていることに驚きました。断食が苦しいのは、「食べなければ死んでしまう」と思い込んでいる上に、我慢して無理しているからです。心の奥にあるのは恐怖です。一方、不食の場合は時間をかけて、食べる量を少しずつへらしてき、食べないことに慣れていくようにする。すると、この場合は「つらい」のではなく、「空腹は気持ちがいい」と体験しながら理解していく。そうやって、いちどこの感覚がわかると、もう無理に食べることはしなくなるそうで、無理や我慢はしていません。そして心の奥にあるのは幸福感。

私も今少しずつ食べる量を減らしています。朝はノニジュースだけ。昼は果物だけだったりもしますが、でも夏休みなので子供と一緒に食べる時もあります。夜は、加熱調理した菜食+サラダ。そうしているうちに、段々と「食べない人たち」に書かれていた、「空腹は気持ちがいい」という状態が分かってきました。こうしてブログを書くときも、満腹では頭が働かないし、夜もすぐに眠くなってしまいます。逆に食事が軽くなればなるほど、頭が冴えるし体が軽い事に気づくようになってきました。何事も体験ですね。これは頭で考えても分からなかった事です。

勿論この本に書かれている「不食ハイ」という「ランナーズハイ」とも似た、なんともいえない多幸感に包まれた状態には、まだまだほど遠いですが、それでも空腹の状態が気持ちが良くなってきました。逆に食べすぎると、「あ~、やっちゃった。」と、満腹の状態が以前よりも幸せじゃなくなってきました。でもそう感じるのは罪悪感や後悔と言うよりも、純粋に体の機能が消化に取られてしまい、頭がすっきりしない状況がなんとも「居心地が悪い」状態になったという感じです。

秋山弁護士も不食への道程は、まず肉と乳製品を控えて玄米採食へ移り、そして、食べる回数と量を減らしていき、2年くらいかけて徐々に慣れていったそうです。共著者の山田鷹夫さんは不食は10年かけて慣れていくような感覚が良いとも言っています。そうやって時間を食べないことに慣れていく過程で、体が徐々にプラーナで満たされることに気づいて行ったそうです。

また、秋山弁護士は以下の様にも言っています。

「飢えとはプラーナの不足で引き起こされていることに気が付いていくのです。興味深いのは、精神的な飢餓感もけっきょくは飢餓の一種であることがわかってくることです。ここまでくると、「慣れの法則」も最終局面を迎えることになります。食べないことに対してすっかり慣れて、本当の空腹感を覚えるようになります。これが「空腹は気持ちがいい」という状態です。そのとき、あなたは思うかもしれません。「悩みっていったいなんだろう?」空腹感が快感に変わっていく過程では、悩むことが少なくなるだけでなく、最終的には悩むという感覚すら忘れているのです。その感覚がもっと進んでいく人では分離感が消えていきます。つまり、自分と他人さらには自分と世界を分けている感覚すらなくなっていくのです。分離感が消えていき統合された状態、これが本当のあなたです。本当のあなたに出会うのが「慣れの法則」の目的であり不食への道程なのです。」

不食と言うのは、食べることにこだわらなくなった状態で、食べることにこだわらなくなると、悩むという感覚がなくなっていく。その感覚がもっと進んでいくと、分離感が消え統合された本当の自分に出会える!なんだか「悩みのない不食ワールド」って素晴らしくないですか?私たちはいつだって「働かざる者食うべからず」と、教えられてきました。「働けなくなったら、食べちゃいけない?」なんか厳しすぎませんか?でも、食べても食べなくても生きていけるのであれば、働き方も変わるし、人生の選択肢が広がり価値観も変わるとは思いませんか?私はこの2部作を読んで新たな視点を得ることが出来ました。ご興味が有る方は是非お読みになってみて下さいね♪当たらな扉が開くと思います。

kindle版はこちらから

 

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友人のプライベート・RAWショコラ・アーティストの小林 三枝子さんが作られた宝石みたいなローチョコの数々です!ご興味ある方は是非、小林さんにご連絡してみて下さいね!ビジネスパートナーも募集しているそうです。ご連絡は小林さんのFBに直接メッセージを入れてみてね!青いチョコは小林さんが自然農法で育てた自家製のミントを使用しています。砂糖は一切使用せず、厳選されたオーガニックの原材料のみを使っている、元気がでるローチョコサプリだよ!

小林さんもゆくゆくは不食を目指されていますが、人生にはローチョコを楽しむ余裕も必要だと考えています。ショコラ・アーティストになったきっかけは、前世からのミッションを思い出したからだそうです。詳しい話はご本人から直接うががってみてね~!

小林 三枝子さんのFBページ

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2 Responses to “断食って命がけ?(不食と断食は別物?)”

  1. いなけん より:

    不食、良いですね。「食べない人たち」読んでみます^_^
    ありがとうございます!

    • allergy より:

      コメントありがとうございます!「食べない人たち」の感想是非シェアしてくださいませ♪

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